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宗教思想について

 クリスチャンでもないのにクリスマスだといっては大騒ぎをし、それから1週間もたつと仏教徒でもないのに百八つの鐘をたたき、年が明ければ神社に初詣で。まったく日本人はどうなっているのかと、多くの外国人は不思議がるのではないでしょうか。
 ところで、「自分には宗教はいらないよ」と言いきっているぼくですが、宗教思想にはとても関心があります。小、中学校時代には日曜ごとにプロテスタントの教会に通っていたこともあるし、大学も、別の教団ではありますが、キャンパス内にチャペルがあるような学校でした。そして、むしろ教職に就いてから、親鸞に関心を持ったのをきっかけに、浄土教や、それ以外の仏教にも、触れることになりました。また、そこからあらためてキリスト教をも見直してみようと、新約学のいくつかの本も読んでいます。
 なかなかどうして、そう簡単には否定できない、奥の深さをもっていますよ。
 それはいのち、とりわけ自分のいのちに関わったことだからでしょうか?
 科学的に見れば、自分はヒトという生き物のひとつで、母親の卵子と父親の精子の一つが出会って受精という現象がおこり、そこから形成されてきたいのちだ、ということは理解できます。しかし、それがなぜ、ほかならぬこの自分でなければならないのか、ということは分からない。なにもそれが自分でなくたっていいではないか…。
 分からないことは、わからないままにしておいたほうかいい。それは自分を越えた、大自然、あるいは大宇宙のはたらきなのだから。無理をして神だ、仏だといってみたところで、それはちっぽけな人間の自意識で、矮小化してしまうことになるだけだから。
 それが宗教に対するいまの僕の立場ですが、興味はなお尽きません。
1998年12月06日